2006年 02月 21日
シゾイド的傾向が強いかもしれない、俺。 シゾイド的傾向が強い人というのは、たとえば、「休憩時間や昼休みなどでもあまり皆と会話せず、ひとりで静かに本を読んでいるようなタイプの人」のことであり、行動パターンとして、携帯電話にあえて出なかったり、朝、下り電車に乗って、そのまま会社を無断欠勤してしまうというようなことが挙げられる(「人はこんなことでウツになるのか」池田健著・中公新書ラクレを参考)。 とりあえず上記のことは全部あてはまる。 昼休みは人を避けるようにしてしまうし、実は、16日、無断欠勤した。携帯の電源を切って。 エクセでコーヒー飲んだ後、平日の朝っぱらから新宿をぶらぶらしていた。 また、「シゾイド・パーソナリティの人は、不必要な社交を嫌うことで、自分の精神の安定を保っている」のだそうである。 うん、それ、すごく良くわかる。 自分の殻に閉じこもらないと、やってられない。 今まで、ウォークマンの習慣は無かったのに、iPodを使い始めたら、手放せなくなってしまった。 便利だから、新しいからということよりも、外界の音を遮断する気持ちよさを知ってしまったからなのである。 まあ、ちょっと変人、である。 プチ変人。 プチ家出やプチ整形と同じ感覚で、プチ変人。petit-henjin。 もしかすると、自覚しているだけでなく、実は周りの人たちは、私のことを変人だと思っているのだろうか。 自分で自分のことを変人だと言っても平気だが、他人から言われたらイヤだ。 というか、変人だと思われているのも、ちょっとイヤだ。 しかし、変人であっても、周囲の人間と意思疎通ができるわけだし、お客さんとも話ができるわけだから、別にかまわない。 業務上、変人であっても、今のところ支障は無い。 ストレスはたまりまくるが、変人であることで、業務上、あるいは政治的にも、今のところ不都合はないので、変人でも別にいいのである。 「だけじゃない、ヘンジン」である。 昔は、ただ人が苦手なだけかと思っていた。 対人恐怖症なだけだろうと考えていた。 だが、対人恐怖がほぼ払拭された現在でも、やっぱり人付き合いは、好きではない。 人が恐くなくなったから誰かと一緒にいても苦痛は感じないが、かといって、積極的に求めていきたいとは思わないのである。 だからやっと、自分は間違いなくシゾイドであると、問題の切り分けができるようになったのである。 かつて学生のとき、周囲の人間が無理をしているように思えていた。 本当はみんな、ひとりでいたいはずなのに、無理して社交的になろうとしているんじゃないかと思っていた。 それは、間違いかもしれない。 自分の価値観だけで判断していたのだと思う。 別に無理をしているわけではないのだ。 本音では人と接したい人たちだったのである。 もともと、社交家だったのである。 自分を寂しい人間だと思っていた。 しかし、もはやそうは思うまい。 俺は寂しくない。 もちろん、シゾイドでない人から見れば、寂しそうであろう。 だがそれは、一面的な価値観であって、私は主観的には、寂しくないのである。 むしろその状態が、最も安定した状態なのである。 ・・・でも、症例を見ると、やっぱり寂しそうだなあ・・・。 「孤独」「感情の欠落」「社会的孤立」「性体験への無関心」 とかだもんなあ・・・orz
by prince_of_curry
| 2006-02-21 23:34
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