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東京奇文

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2005年 05月 01日

死の。

少し前の話だが、越谷で、22歳の新任の学校の先生が自殺したというニュースがあった。
遺書も残されておらず、自殺の原因は不明であるようだ。
ポール牧も、自殺した。
JRの事故もそうだが、人の死は、突然やってくる。

私は大学の友人を、自殺で亡くしている。
大学を卒業して、就職した年の夏に、マンションから飛び降りた。
遺書もなく、理由はわからない。
越谷の先生の件と、似ているように感じる。

私の祖父も、自殺した。
祖父は、「てんかん」だったそうである。
といっても、私が生まれる前だったので、祖父の顔は知らない。


死は、不意にやってくる。
自殺の場合、理由なんてものは、特定できない。
遺書があったとしても、そこに書いてある理由と自殺とが、必ずしも因果関係で繋がるわけではないようにおもう。
人災も、大事故に繋がるとは思えないような些細な(結局大事故の発端となるのだから、些細ではないのだろうが)不注意あるいは故意から引き起こされるが、その大元の原因は、どこまでも追究できてしまう(例えばJRの事故を例に取れば、そもそもその運転手を採用したところがまずいのか、あるいは、そのような人間に育てた親が悪いのか、などなど、責任は、無限に広がる。だからこそ、法律を解釈して、それに歯止めをかけるわけである。過去においては、一族郎党皆殺しなどの連帯責任も存在したわけで)。


不本意な死を避けるためには、どうすればいいのだろう。
いや、どうすれば、人は不本意な死を許容できるのだろう。
なぜ人は、死を恐れるのだろう。

死とはなにか。
そもそも、生とはなにか。
たぶん私は、そんなことをうだうだ考えて、それこそ死ぬまで、過ごすような気がする。
答えは、出ないようにおもう。
でも、考えたい。
そういう答えの出ない問題を考えるのが趣味なのだから、ダジャレばかりを言っているのも無理もない。
無駄なことが、大好きなのである。

私の生まれる前に、母は二度流産している。
やっと生まれた私は、心臓に穴が空いていて、生まれた直後、一度心臓が止まっている。
そのせいか、右半身麻痺になった。
母の二度の流産の後、私はなんとか生まれてきたが、そんな私も、いずれ死ぬ。
どうせ死ぬなら、せいぜい好きなことを考えて死にたい。
そういう考えだから、私は未だ、不真面目なのである。

by prince_of_curry | 2005-05-01 00:44


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