2005年 04月 03日
男尊女卑的世界観が、おそらく、モテを阻んでいるようにおもう。 これから述べたいのは、現在の社会制度における男尊女卑の残滓などという大それたモノではなくて、モテ非モテから見た男尊女卑である。 …いやっ、でもなあ~、こういう話って、自分のバカさがモロに出そうだし、時代錯誤だし、な~…。 古ーい議論でしょ?きっと。 男尊女卑の発想じゃモテないってのは、常識な気がするし…。 うーん、日曜の朝からなに書いてんだ…。 私の中には、確実に、男尊女卑的な観念が、あった。 自分では、そんなものはないと思っていたから、余計タチが悪い。 だから、男尊女卑の本質を掴めなかった。 私は、隠れ男尊女卑主義者であった。 大学の友人にも、男尊女卑主義者が、意外と、いた。 ある友人は、明確に女性に対する敵意を表していた。 教室の外を、女の子が楽しそうに通り過ぎると、持っていた空ペットボトルを、壁に向かって投げつけるのであった。 「女は大学になんて行かなくていい」といい、「自分よりいい大学の女とは付き合えない」と明言していた。 もちろん彼は、非モテであった。 私は、彼がモテないから、女性に対して敵意を持っているのかと思っていたが、おそらく、そうではない。 そもそも、そういう主義を持っているから、モテないのだ。 そういう主義をベースとして女性を見るから、モテないのだ。 モテない腹いせではなく、なんというか、訳もなく、腹が立つのだ。女が元気なことに。 理不尽極まりないが、男尊女卑主義と言うものは、そういうものであろうとおもう。 男のほうがエラい、のみならず、男のほうがエラくなければならない、そういうイデオロギーだ。 イデオロギーとは、本質的に、理不尽さを含むものなのではないだろうか。 むろん、本当に立派な男であれば問題はないのだろうけど、「男のエラさ」というものをイデオロギー化してしまうところに、男尊女卑思想の問題点はある。 私はそれを横で見ていたのだが、思えば、彼を嫌な人間だとは思わなかった。 あそこまでムキだしでやりたくないな、とは思いつつも、やはり自分でもどこかに、現代の女性に対する理不尽な怒りのようなものを抱え込んでいたようにおもう。 男尊女卑主義者は、女性に対して全く優しくない。 一見やさしそうに見えても、どこか「優しくしてやっている」という匂いが漂っている。 全てが恩着せがましいのである。 自然でない。 「キショい」「キモい」「キモヲタ」「うざい」 罵倒する言葉はたくさんあるが、これらを、女性が男性に向けて使うとき、そこには、男尊女卑思想に対する嫌悪が含まれているようにおもう。 オタクと呼ばれる人は、調べたわけではないので想像に過ぎないが、おそらくほとんど男尊女卑主義者ではないかとおもう。 オタク問題というのは、要するに、主義の違いの問題である。 かつての冷戦のようなものであろうか。 (むろんこれには、男尊女卑主義のほうが社会がうまく回るころがあった、ということを前提としている。例えば戦時中など) では、男尊女卑に替わるものは、なんであろうか。 ただ単に、男尊女卑思想をなくすだけでは、おそらくダメだ。 男女間のものごとを支える思想は、やはり必要なのではないかと考える。 男卑女尊、であろうか。 私はこれも、間違いであるとおもう。 男性が蔑まれる理由もまた、ないからである。 もう、おわかりであろう。 今必要なのは、男尊女尊の思想である。当たり前と言えば当たり前であるが。 そしてまた、モテはたいてい、できているはずである。 ここには、男女の性差をとっぱらうという意味は、全く含めないつもりだ。 「一人の人間として」という言葉は、まやかしであるようにおもう。 そんなものは、法の世界だけで十分だ。 法の世界とは何か。 それは、規範の世界である。 「~すべきだ」という世界である。 本質的に、個性というものを失わせる必要のある世界である。 人が、「男女云々のまえに、一人の人間として考えよう」というとき、それは、男尊女卑思想を前提にしているようにおもう。 男尊女卑主義者に、男女の区別を前提に論じさせても、結論は明らかだからである。 普通、日常的に接する生身の「人間」を定義するとき、性差を無視して定義できるはずはない。 「個性」を論じるときに、性差を無視できるとは、到底思えないのだ。 だからこそ、男女の関係における、一般的な男女を論じる意義も、あるとおもう。 それは、統計学の手法を用いてもいいのかもしれないし、想像で勝手に喋っても、いいのかもしれない。 ただし、男女の別を前提に、建設的な議論をするためには、男尊女尊思想が、必要不可欠であると考える。 身だしなみを整え、ファッションを磨き、女性に優しく、そして、女性が楽しむような話をすること。 女性から好ましいと思われることを、「こっそり努力して」身に付けること。 これは、モテることなのである。 モテのため、というのが嫌であれば、これは、懐かしい言葉で言えば、女性をリスペクトすることである。 まさに、モテにおける女尊思想の表れといえる。 男尊女卑主義者には、まず不可能な行為であろう。 男尊女卑主義者は、だからこそ、あえて女性から疎まれるファッションを貫こうとするのだ。 女にとっては「イタイ」以外の何物でもない行動も、あえて、貫こうとするのだ。 ファッションに無頓着な俺カコイイ、というわけである。 女に媚びずに行動を貫く俺カコイイ、というわけである。 彼らにしてみれば、その非モテファッションを理解しない女のほうが間違っているのだから。 彼らの行動を「イタイ」と批判する女のほうが間違っているのだから。 こう解釈しておけば、男尊女卑思想自体は、揺らがない。 それは、違うのだ、この時代においては。 モテに血道を上げることは、カッコ良いことなのである。 そしてもうひとつ、忘れてならないのは、男尊思想の中身についてである。 男は、尊い。 これは、忘れてはいけない。 ただし、ここにいう尊さは、女性を尊ぶ限りにおいてである。 女性を喜ばせるのは、実は、ものすごく楽しいことである。 女性をリスペクトすることのなかには、実は、自分へのリスペクトも含まれている。 とするなら、女性に求める男性へのリスペクトも、そういうものであって然るべきではないだろうか。 女性が、自分自身にリスペクトを感じない要求は、なるべく、しないほうがよい。 また、いくらモテを目指すことがカッコ良いことだとしても、それがつらくなるところまではやる必要はないであろう。 やりすぎると、却ってカッコ悪い。 そもそも男尊思想と相容れない。 月並みな言い方になってしまうが、そこは、男尊女尊思想をベースとして、自分なりの「モテ道」を見つけていけば、いいのではないかとおもう。
by prince_of_curry
| 2005-04-03 13:24
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